被抑圧者の教育学

by Lisa Torio // 2. 14. 2018

Popular Education”とは、20世紀後半、中南米を中心に広がった教育の概念。人々が生活の中から主体的に問題を発見し,それについて学んでいく運動。その中で最も有名な教育学者がパウロ・フレイレ。「被抑圧者の教育学」っていう本がとても有名で、彼の教育の概念を少し紹介したいと思います。まず、教育の目的って何だと思います?

フレイレは、ざっくり言うと、教育の目的は「意識化」って言う。意識化っていうのは抑圧されてる人たちが自分の置かれている社会的立場に気づき、解放に向かうことを教育の目的だと考えている。「人々が主体として歴史のプロセスに関わっていくことを可能にし、狂信主義を避けて、一人ひとりを自己肯定に向かわせる。」「自由の実践としての教育」。「この教育学においては、被抑圧者が抑圧と抑圧の原因について省察することが対象となり、その省察は結果として被抑圧者の解放の闘いへと向かい、その中でさらにこの教育学をつくり、つくり変えられていく。」

学校の教育を考えると全然違うなって思うのが、とても政治的なところ。でもフレイレは普通と考えられてる教育はノンポリを装っていて、じつは抑圧者の思い通りになりような教育。

“Education as the exercise of domination stimulates the credulity of students, with the ideological intent (often not perceived by educators) of indoctrinating them to adapt to the world of oppression.”

つまり、学校が生み出そうとしているのは社会を変える人たちじゃなくて、今の社会に上手くハマる人たちを作っている。日本の教育ってまさにそうじゃないかなって思う。

フレイレが批判しているのが、「銀行型」教育。知識を詰め込むような「預金」行為。「飼育」とも呼んでる。10個の特徴がある。「根本的に反対話的であるために、お互いにかかわりをもたない『銀行型』教育では、教育者は教育の中身を、教育の対象者にせっせと預金するように積み上げようとする。」「意識化」を達成するには、教育者の一方的な語りかけじゃなくて、「対話」が必要となる。「教育者の活動は、人間の創造的な力への深い信頼に根ざしているものでなければならない。」

「問題解決型の優れて対話的な教育では教育内容はけっして『預金』されるようなことはなく、教育されるものの世界のとらえ方から、生成テーマを見出し、それを基礎に作り上げられ、組織されていく。だからこの教育の内容は絶えずつくり変えられ、広がっていく。対話的な教育者の仕事は、学際的なチームをつくって、探求を行ってテーマの宇宙を探り、論文として発表するというより、問題として本人たちにフィードバックしていくということである。『銀行型』教育ではない、解放のヴィジョンを基礎とした教育内容は、人々に押し付けられたものではなく、逆に彼ら自身や教育者との対話を通じて生まれたものであるから、預金型を止め、彼らの願望や期待を反映したものになることは当然である。」

対話をするには何が必要かって事もこの本に書いてるんですけど、私が注目したいのは まず教育の目的とはなんだろうってことと、教育者と生徒の関係の見直しについて。そしてこれは教育者の視点からだけど、自分は生徒の視点からも考えたい。フレイレはこの事には触れないんだけど、私が面白いなと思うのは、「銀行型」教育の「知識」の概念。アメリカの学校とかだとよく“Knowledge Is Power”っていうポスターが貼ってあるんですけど、この知識はパワーのパワーって権力だと思うんですよ。 生徒自身も「銀行型」教育を内面化していて、知識を自分の銀行に貯めてることによって、権力を手に入れられ、他の人をコントロールできる。エリートってそういうものじゃない?知識のない人の上に立てる。たとえば、よく考えるのがカンニングしちゃだめってこと。協力しちゃいけないというか、みんな競争していて。本当はみんな一緒に協力して受かったらいいのにって思わない?でも知識というものは商品化されてて、私有制。とても資本主義的な考え方だな、って思う。こういうことも植え付けられてるんだなって。

ここでフレイレが言う「自由の実践としての教育」、教育を通して人間のあるべき自由な姿を取り戻すってことをもっと具体的に考えたい。自分たちを解放する教育。


Lisa Torio   1993年、東京生まれ。趣味は読書。